私なりの運命という言葉の定義
こんばんは。
今回は前々から書こうと思っていた『自分なりの「運、運命」の定義』について書いていこうと思います。
匿名で聞けちゃう!ぺぺろんてぃーぬさんの質問箱です | Peing -質問箱-
↑の質問箱でも「運命ってあると思いますか?」という質問が届いていたので、遅くなりましたが、それの回答ついでって感じですね。
今回のお話はあくまで自分なりの考え方なので、参考程度にとらえていただけるとありがたいです。
1.ネット上の運命の意味
Wikipediaでの運命の意味については以下の通りです。
1. 人間の意志をこえて、人間に幸福や不幸を与える力のこと。あるいは、そうした力によってやってくる幸福や不幸、それの巡り合わせのこと。
2. 人生は天の命によって定められているとする思想に基づいて考えられている、人の意思をこえて身の上に起きる禍福。
3. 将来のなりゆき。
こんな感じですね。
まぁなんいうか、習ったままのその通りでしょうね(-_-;)
2.自分の2つの考え方
ここで自分なりの考え方を2つ、紹介したいと思います。
なぜ2つあるかといいますと、昔と今で考え方が変わったからなんですよね。
で、なぜそのどっちも紹介するのかといいますと、どちらも自分なりに納得した考え方だからなんですよね(; ・`д・´)
片方は夢物語のようなもので、もう片方は現実志向のものになります。
では、紹介していきたいと思います。
定義① 神が定めた「物語」のようなもの。
これはウィキにある2番目の意味に近いですね。
ただ、私の考え方では後の部分が違います。
どういうことかといいますと、「運命はヒトの手によって運命を変えることができる」という考え方だからです。
これは、イメージ的には、
神「物語つくったお(^ω^)」
神「なんか面白くないからヒトっていう”知的生命体”ってのつくってみよ(^ω^)」
神「条件満たせば物語変えさせる力でもあげたら面白そう(^ω^)」
って感じですねw
で、その条件っていうのは「絶望という試練を乗り越えること」です。
ここまで含めて私なりの運命の定義その1ですね。
要約すると、
「運命とは、神が作った物語である。しかし、それは絶望という試練を乗り越えることで、変えられることができる」
って感じです。
例としては、マツダのロータリーのお話なんかは使いやすいです。
ロータリーエンジンの開発には、アイドリング時の激しい振動、エンジンオイルの過大な消費、それによるおびただしい白煙、さらにチャターマークの発生など、様々な問題がありました。
それこそ、絶望ですよね。
でも、諦めずに開発を進めたことで実現することができた、という結果になりました。
RX-8の開発のお話でも、フォード傘下の状況での開発では、かなり苦戦したとのことでした。
詳しくはこちらから見ることができます。
このような絶望的な状況下での「諦めない気持ち」が、その先の運命を変えていく、という前向きな考え方ができる定義になります。
定義② 因果応報の交差点
これはウィキにはなかった考え方ですね。
こっちが現実的な考え方のほうですね。
イメージ的には、
Aさんが○○をするために△△に行った。
↓
Bさんが××をするために△△に行った。
↓
結果AさんとBさんが△△で出会った。
という感じですね。
要約すると、
「運命とは2つの因果応報の接点」って感じですね。
この考え方では、常にベストを尽くしておくことで、いざチャンスが来た時により良い結果が導き出せるという捉え方ができると思います。
3.まとめ
というわけで、以上で自分なりの考え方を紹介させていただきました。
今回のお話はあくまで自分の考え方なので、参考程度に受け止めていただけると幸いです。
なんとなく綺麗にまとまっていなくて自分自身若干の不健全燃焼ではありますが、疲れてきたのでここまでにしておきます。
何か「自分はこう思う!」「こんな考え方もあるよ」という意見があれば、気軽にコメントしていただけると嬉しいです。