19歳の仕事を辞める時の「迷い」と「決断」
本日ブログを始めたばかりの超絶ブログ初心者でございます。
というか社会人の初心者ですね。
ブログを始めた理由は仕事を辞めたからに他ありません。
19歳の若者がなぜ仕事を辞めたのかを、その時何を「迷い」何故「決断」したのかをここに書こうと思います。
2018年4月、私は大企業M自動車に就職しました。
約2ヶ月間の研修を終え、6月から作業員として仕事を始めました。この時はまだ活力がありました。
作業員として仕事を始めて2日目、早くも筋肉痛になりました。
そこは別に良かったのですが、1週間、2週間経っても消えず、湿布や温泉に頼ってみたりして約1ヶ月程してやっと消えました。
この時もまだ普通の事だと思えました。
8月から、環境が大きく変わりました。
常勤から2交代制へと変わり、その影響で職長も変わり、仕事内容も変わりました。
ここからが地獄の始まりでした。
毎日が地獄でした。
(※長文なので読まなくてもいいです)
5時起き6時出、通勤1時間。7時には作業を始め、8時30分から始業。朝一からエナジードリンクを飲み、昼休憩まで4時間無休憩。
昼休憩の終わりにモンスターエナジーを1本ガブ飲みして定時まで4時間無休憩。
当時はほぼ毎日2時間残業だったので残業前にもう一本モンスターエナジー。
仕事が終わって19時、そこからやっと職場でのコミュニケーション。新入社員として交流しようと努めました。
やっと職場を出れるのが20時〜21時。
帰れるのは21時〜22時となります。
6時間睡眠をしないと身体が持たないので23時には寝なければなりません。
逆算して食事&入浴で1時間消費するとすると...
1日の自由時間は0〜60分となります(日によって変わります)
休みの日は2交代制になっていたので夜勤週は土曜日の朝まで仕事です。
昼勤はほぼ毎週休日出勤です。
貴重な日曜日の休日は身体を休める為の温泉や、マッサージなどに行きました。
自由時間はあってないようなものでした。
その多忙な日常の中、私は徐々に活力を失い、いつしか「仕事が辛い」から「生きるのが辛い」に変わりました。
そう、鬱になり始めたのです。
休憩時間に人目に付かない所で泣く事もありました。
いつしか私は無意識に自殺の仕方を考え始めていました。
しかし私はまだ救いがありました。少なくとも家に居る間だけは、冷静でいられたのです。(調べてみると私は非定型の鬱というものでした)
冷静さを保っていられた私は、「死ぬ前に辞めよう」と思いました。
勿論迷いました。せっかく就職できた大企業です。ほぼ100%安定した生活ができるはずだったのです。家族からも祝福され、親の老後も安心のはずでした。
現時点で給料も多く、その時点で貯金は100万を超えてました。(使う暇が無かったのも貯まった理由でした)
辞めれば周りの人に迷惑を掛ける。迷惑はかけたくない。そう思いました。
それから様々な手を尽くしました。
職長には5回相談し、係長(職長の上司)とも相談し、労働組合にも駆け込み、家族や友人、高校の先生などにも相談しました。
結果は、「死にたくない」という気持ちのほうが上でした。
せっかく大企業に就職できても、死んじゃ意味がないんです。
こう思えた理由はもう1つありました。
それは、父の親友の自殺です。
自分にとってヒーローの様な、力持ちで、知識もあって、尊敬できる様な人が、2週間ほどでしょうか。ずっと心ここに在らずと言った様子でした。風呂で溺死でもしてしまうんじゃないかというほどでした。
その親友は、親が亡くなるよりも先に、そのような選択をしてしまったらしいです。
そのようなことがあって、私は親よりも先に旅立つなんてことはしてはいけない。と思いました。
「仕事を辞める」とか「鬱(病気)になる」とかよりも、何十倍、何百倍も悲しませることになるはずです。
「死ぬ訳にはいかない」
「私はまだ若い。まだやり直せるはずだ。」
そう自分に言い聞かせました。
辞めたのは4月13日。私にとってかなり大きな決断でした。
今でも、本当にこれで良かったのか?と不安になります。
以上が私の人生最大の「迷い」と「決断」でした。
最後に、亡くなった父の親友と、その遺族の方々に向けて一言。
「彼のおかげで私は自殺をせずに済んだ。彼の死は一人の若者の命を救ったのだ」と、そう伝えたいです。
ここまでこの長文を読んでくださった方へ
本当にありがとうございます。この文が誰かのココロを少しでも動かす事ができれば幸いです。
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